決定不能性を 1 ミリ動かす

境界線には座標がある ── 4本の定規と、その実測値

結論を先に言うと、動かせます。しかも「何ミリ動いたか」を測る目盛りが用意されている。ただし動かした分だけ壁も後退するので、消すことはできません。

I. 動かす式

1. 跳躍作用素計算論の定規

前回の Ω に停止判定オラクルを足す、というのが最も素直な「1ミリ」です。

Ω(n+1)  :=  Ω(n)    Halt( Ω(n) )
[Ω](n)  が決定可能   ΩΔ0n+1
オラクルを1段足すごとに、算術的階層を1段ぶん降りられる

ところが Post と Kleene の定理が、この1ミリの代償をきっちり定めています。

∀X ( X  <T  X′ )      ∅ <T ∅′ <T ∅″ <T ⋯ <T(α)  (α < ω₁CK)
跳躍は狭義単調 ── 前に進んだ分だけ、新しい停止問題が生まれる

では最初の2問は何ミリ先にあるのか。量化子を数えれば座標が出ます。

Σ⁰₁停止問題(∃ 一段)
Π⁰₁ゴールドバッハ予想 ・ リーマン予想 ・ ZF の無矛盾性
Π⁰₂コラッツ予想(全域性:∀n ∃k で 1 に到達) →  ∅″ があれば決定可能
Π⁰₃ABC 予想(∀ε ∃N ∀三つ組) →  ∅‴ があれば決定可能

コラッツは 2 ミリ、ABC は 3 ミリ先。オラクルさえ手に入れば、どちらも「有限の手続き」で片が付きます ── そのオラクルが存在しないという一点を除けば。

2. 順序数解析証明論の定規

体系そのものを強めるなら、目盛りは順序数になります。

Tα+1  :=  Tα  +  Con(Tα)       PA Con(PA)    PA + TI(ε₀) Con(PA)
ゲンツェン。ε₀ までの超限帰納法という、たった1つの原理が壁を1段ぶん動かす

この定規の目盛りが証明論的順序数 |T| です。PA なら ε₀、述語的解析なら Γ₀、Π¹₁-CA₀ なら ψ(Ωω)。グッドスタイン定理やパリス–ハリントン定理は、この隙間にちょうど落ちる命題として発見されました ── PA では証明できないが、ε₀ を足せば証明できる。「1ミリ動かすと何が新しく証明できるか」が実際に見える希少な例です。

3. 大基数集合論の定規

ZFC + 「n 個のウッディン基数」    Π¹n+1 決定性
無矛盾性の強さで一直線に並ぶ、事実上の「上位互換」階層

射影集合の性質は大基数公理で次々に決着します。ただし連続体仮説はどれだけ足しても独立のまま ── 定規の向きが合っていない、という教訓つきです。

4. 状態数本当にミリ単位の定規

そして最も即物的な定規。「限界は何状態の地点にあるか」を実測できます。

BB(748) が既知    ZF の無矛盾性が判定可能
その機械を BB(748) ステップ走らせて止まらなければ、ZF は無矛盾
命題必要な状態数出典
ゴールドバッハ予想27Yedidia–Aaronson ほか
リーマン予想744Stefan O'Rear
ZF の無矛盾性(ZFC から独立)748O'Rear(原型は 7,910 状態)

つまり 数学の限界は 27 〜 748 状態のどこかにある。ではその手前はどこまで到達したのか。

nBB(n)状況
1–41, 6, 21, 107古典的に確定
547,176,8702024年7月に確定。Coq で機械検証済み
6> 2↑↑↑52025年6月の下界。Antihydra というコラッツ型の機械が立ちはだかる

ここが今回いちばん面白いところです。BB(6) を確定させるには Antihydra という 6 状態の機械の停止性を決めねばならず、それがコラッツ型の未解決問題そのものだった。2026年7月時点で、まだ約 1,100 台の機械が判定不能のまま残っています。

定規を 5 から 6 へ、たった 1 状態動かした瞬間に、コラッツが顔を出した。

II. 答え

Ω(n+1) = Ω(n) Halt(Ω(n))   かつ   Ω(n) <T Ω(n+1)
1ミリ動かす式は存在する。そして同じ式が、壁も1ミリ後退することを保証している

足すことはできます。実際、跳躍を 2 回足せばコラッツは、3 回足せば ABC は決定可能になる。ただし跳躍作用素の狭義単調性 X <T X′ が、地平線も同じだけ遠ざかることを定理として保証しています。決定不能性は消去できず、座標が変わるだけです。

コラッツと ABC に必要なのは、新しいオラクルではなく新しいアイデアだ ── というのが、この定規たちの出す答えになります。